2026年3月8日に実行しました。8年前のこの時期にも訪問しましたが、スマホを忘れ、せっかくの快晴の空のもと、感動的な景色の記憶を記録として残せなかったので、改めての訪問となります。前回ほどの晴天ではありませんが、城跡の迫力と山頂からの大台ヶ原、大峰山系、吉野山、金剛山系の景色は素晴らしいものがありました。山頂は時期が合えば、桜が美しく咲き、更に味わいを深めます。
神戸方面から壺阪山駅 (10:06) へは大阪駅から天王寺駅まで地下鉄で移動し、近鉄南大阪線に乗り換えて向かいます。

国道169号を超え、土佐街道の入口に向かいます。この時期、土佐街道では町家のひな祭りが開催され、多くの町家が大小様々なひな壇を観光客に公開してもらえます。継続的なメンテナンスは大変だと思いますが、長年の良き伝統になっています。

今回登る山は高取山で、山頂が高取城になっていますが、1640年植村氏が藩主として入部後、山上の高取城では日常生活が不便なため、藩主をはじめ家臣の屋敷はこの土佐街道筋に移され、城下町が形成されました。今回写真を添付しますので、ひな壇と共に古い町家をご覧ください。
















ひな壇を散策しつつ、石の道標に到着しました(10:23)。

ここで右折し、壷阪寺を目指します。右折後もしばらくは町家ひな祭りを楽しめます。ガイドブックには「船戸橋の手前を左折する。壷阪寺への道標は、橋を渡りバス道を歩くように表示しているが、ここは手前の川沿いの道を行く」、更に「民家が途切れたところに木橋がかかっており、これを渡り、擁壁沿いに踏み跡を進むと、バス道からのルートと合流する」とあります。8年前もこの指示に従い、路迷いに苦しみました。




結論、「船戸橋を渡り、バス道を通り、斜め左に降りる道を進み、壺阪寺参道に合流する」が正解と見るより他ありません。今回、最終強引に木の根っこをつかみ、四つん這いでよじ登り、バス道に合流しました。
さて、壺阪寺参道に入ると気配は一変、まともな道になります。最後は多様な観音像が迎えてくれます。










石像に迎えられた路を登り切ると、壷阪寺に到着しました (11:04) 。
壷阪寺の本尊は眼病に霊験あらたかな観音様で、盲目の夫「沢市」とその妻「お里」の物語である人形浄瑠璃「壺阪霊験記」によって世に広まり、眼病封じのお寺と呼ばれています。せっかくの機会なので、しばしお参りして将来誰もがリスクを抱える白内障、緑内障封じをお祈りしました。全般に建物や石像が多く、日本の他のお寺と比べると、やや派手さのあるお寺でした。









礼堂の中に入ります。














さて、壷阪寺では30分を過ごしました。これから登山道に向かいます (11:34) 。
階段を登り、車道を左に折り返すようにしばらく登ると、左に「高取城跡」の標識のある登山口が現れます。

ここからは本格的な山道です。

五百羅漢が現れたら回遊路との分岐を右に取ります。


ここからは所々急登になります。平坦の路になり、回遊路と合流し、やがて杉の植林地になります。標識はしっかりしています。

だらだら登りから車道に出て、すぐに左の山道に戻ります。「高取城址」の御影石が立ちます。

再び車道に合流しますが、城内案内板(天守閣跡取付)が現れます。この合流部付近の林道に多数の車が停車していました。城だけ見たい方が多いものと推察しますが、城下町の由来を考えると、麓から上がった方が味わい深いと思います。


急坂を登ると山城の石垣が現れます。板の階段を上がると壺阪口門跡です。
さて、小職の管理不足で今月のファイル利用量をオーバーしてしまいました。
続きは次回とします。
ここまでの範囲では土佐街道の賑わい、町家のひな壇、壷阪寺と麓に見どころ豊富なコースと言えます。負荷はそれ程でもありませんので、家族連れにも向きます。次回は核心となる山上の城壁と景色をレポします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。