2026年3月21日に訪問しました。前回京阪大谷駅~音羽山~千頭岳~大平山~石山寺にわたる東海自然歩道の登山を報告しました。最後のランチは失敗しましたが、気を取り直してそのまま石山寺に入りました。
石山寺の歴史は奈良時代に遡ります。747年、聖武天皇の勅願を受けた良弁僧正が創建されたとされています。東大寺造営に必要な黄金を祈願したことが起源とされ、当初は国家的事業に関わる寺として始まりました 。その後761~762年頃、本堂や鐘楼などの伽藍整備が進み、寺の基礎が固まりました。
平安時代には真言密教の道場として発展し、貴族の参詣「石山詣」が盛んになりました 。特に女性の間で流行したようで、紫式部を始め、数々の女流文学者に霊感を与えてきたとされています。
鎌倉時代には源頼朝の寄進を受け、多宝塔、東大門、鐘楼などが整備されました 。
戦国時代には兵火に遭い、東大門などが損傷しましたが、江戸時代になると淀殿の寄進で大修理・再建が行われ、現在の石山寺の姿が形づくられました 。
石山寺は創建から一貫して観音信仰の霊場として親しまれ、また紫式部が『源氏物語』を起筆した寺としても有名です 。現在は西国三十三所第13番札所として、多くの参拝者を集めています 。
なお、伝承では、紫式部は1004年ごろに中宮彰子の求めに応じて参籠し、十五夜の月を見ながら着想を得たとされます。史実での厳密な実証はなされていませんが、石山寺には「源氏の間」や紫式部ゆかりの寺宝があり、文学史・文化史の上で重要な場所として親しまれています。
今回は入山、本堂内陣拝観、豊浄殿拝観セットで参拝しました。春と秋はこれらのセット拝観がお勧めです。
最初に境内はこちらです。入山とあるように、非常に広い敷地と言えます。
以降、写真と感想を綴ります。



鎌倉末から室町初期にかけて制作された「石山寺縁起絵巻」にも描写されたこの東大門を潜ります。本堂へ登る階段の手前にも幾つか趣のある庭園や院があります。






これから本堂のあるエリアに上がっていきます。階段はかなりの勾配です。登山後の足にはそれなりに堪えました。

途中龍蔵権現社がありますので、立ち寄ります。

残りの階段を登り切り、本堂エリアのスポットを訪ねます。






さて、メインの本堂に入ります。残念ながら本堂内部は撮影禁止になっています。
本堂は国宝に指定されている中心伽藍で、現在の建物は平安時代中期の再建を基礎とし、江戸時代初期に礼堂が増築されて今の姿になったものであり、滋賀県最古級の木造建築として知られています 。内陣・相の間・礼堂で構成され、内陣は古い時代の姿を伝え、外陣にあたる礼堂は1602年の淀殿の寄進で増築されたとされています 。内陣(別途拝観料要、靴を脱いで拝観)には、本尊の如意輪観世音菩薩が安置されています。安産・福徳・縁結びの観音さまとして信仰され、しかも日本で唯一の勅封秘仏として知られ、御開扉は何と33年に一度です。礼堂含め非常に厳かな雰囲気で、建物の外とは別世界の印象です。


本堂の相の間には、紫式部が『源氏物語』を起筆したと伝わる「源氏の間」があります。ここは撮影可です。


更に登ります。










この辺り、季節が良ければ梅や桜が鑑賞できます。

豊浄殿に入ります。紫式部関連の屏風・織物・硯を中心に、石山寺の歴史資料を展示しています。春・秋のみ「石山寺と紫式部展」で寺宝を公開します。残念ながら写真撮影はできませんが、絵巻物や屏風、古文書、太古の文化財がしっかりと保存されています。高々300円、必見ですね。
さて、梅園など残りのエリアを散策します。




徐々に下山していきます。ここも自然豊かな山林で、非常に気持ち良いです。





そのまま往路を戻り、東大門から退出しました。瀬田川沿いを石山寺駅に向かいます。900m少々歩きます。石山寺駅の雰囲気は30年前とは雲泥の差で、無味乾燥に感じた駅舎が色気たっぷりなものに更新され、大変びっくりしました。
SNSその他、情報が民主化され、各地の観光地も掘り出し物が少なくなり、日本全体、いや世界に向けた発信が必要になった当然の帰結と捉えています。

列車も変わりましたね。

さて今回、芭蕉庵と月見亭の写真を撮り損ねました(本堂の雰囲気に浸り切り、意識が回りませんでした)が、この価格でこれだけの歴史、景観に触れられるのは非常にリーズナブルと感じます。
石山寺駅からのアクセスもそこそこ長く、入山後の周遊も一定の負荷はかかりますが、それを差し引いても大いにお勧めします。門前には多数の魅力的なお店があります。こちらも併せて載せておきます。私が利用した残念な店はエリア内にありますが、このHPには載っていませんので、ご安心下さいませ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。